もう限界!!

Freisingの街

Dienstag 7. Juli 1998
くもり一時雨 18度→13度/夜10度以下

 今日は、朝食を食べた後、ラルフが「ドイツ語を勉強しよう!」と言って、ロサも一緒にドイツ語を勉強した。

 ラルフが仕事に出かけた直後、ママが帰ってきた。私は今日は電話しに行こうと思ってたからママに「電話をしに出かけてくる」と言うと「家の電話を使えば?」と言うので「日本にかけるから。外で電話かけてくる。」と答えると「もうすぐお昼ご飯だから、早めに戻っていらっしゃい。」と言われた。

 まず、Mに電話する。「土曜か日曜にそっちに戻る。」と伝えると、「ちょっと待って。・・・・・・(スケジュールを確認しているらしい)もしもし。土曜も日曜も3時には家に帰ってきているから。家に電話くれれば、駅まで迎えに行く。」と言う。「一人で戻れる」と言うと「君の荷物は重いから。」と言う。ふ〜ん。そういう所だけは気が利くんだ。

 その後、日本の友達に電話して、家に戻った。今日はパプリカに肉を詰めて蒸した料理。「ルーマニアの料理なのよ」とママが言っていたが、とてもおいしくて、おかわりしてしまった。

 3時半頃、ママは「頭が痛いから少し寝るわ」と言って部屋へ戻っていった。ロサも部屋へ戻ってしまった。またお昼寝らしい。私は一人でATLASを見たり、テレビを見ていたが、4時半頃フランツィスカが帰宅したので、フランツィスカとすごした。

 フランツィスカは編み物をしていて「何を編んでいるの?」と聞くと「靴下よ。ほら、かわいいでしょ。」と見せてくれた今まで編んだ作品の数々は子供用(赤ちゃん用?)の小さな靴下で、色とりどりでかわいかった。「誰か小さな子供がいる友達はいる?」と聞くので、「うん。もうすぐ赤ちゃんが生まれる友達がいるよ。」と言うと、「じゃぁ、できあがったら、これをYumikoにあげる。」と言って、楽しそうに編んでいた。

 夜、夕食後に、昨日寝る前に準備した図を見せながら、ママに日本の教育制度を説明した。けど、やはり私のドイツ語レベルではなかなかうまく伝わらなかったようで、とても悔しかった。

 9時からワールドカップのテレビ観戦。ブラジル対オランダ戦。私とロサはブラジルが勝つと言っていて、パパとママとフランツィスカはオランダを応援していたが、ブラジルが勝って、私とロサは大喜びだった。

 そして。ラルフが帰宅後、1時頃まで3人で話していたが、そろそろ寝ようということになって、私はロフトに上がった。ロフトで日課の日記を書く。ロサがラルフに「Yumikoは何をしているの?」と聞いている。ラルフは「Yumikoは毎日日記を書いているよ。」と答えている。

 二人は部屋のドアを出た所(ドアはロフトに上がる階段の右横)で何やらずっとコソコソしゃべっている。ドアのすぐ外は階段で、階段を10段くらいおりた突き当たりはパパとママの部屋なので、ドアを出るか出ないかの、私から見えない場所で小声でしゃべっているのだ。

 ロサがクスクス笑っている声と、二人がいちゃついている雰囲気が伝わってくる。私はもう耐えられなかった。

 そんなに私が邪魔か! 私だってもう限界だ!!

 私はロフトを下り、ラルフに向かって「私は居間で寝る!じゃあね!」と言って居間にかけ下りていった。ラルフは「待って。いったい何が起きたんだ!」と追いかけてこようと階段を少し降りて私を呼び止めたが、ラルフは居間まではついてこなかった。

 少しして、ラルフが一人で居間に降りてきた。「ここで寝るなんてどうして? 部屋に戻っておいでよ。」と言う。「ここには毛布もあるし、ソファで寝る。一緒に寝るのはイヤ。」と突っぱねた。「なぜ? どうしてなのか言ってくれないと分からないよ。」と言うので、「私は日本人なの。・・・・でも、思っていることをうまくドイツ語で言えないから。」と答えると「そうだけど、なんでもいいから、下手でもいいから言ってよ。僕たち友達でしょ。君はあの部屋を自由に使っていいんだよ。君の部屋なんだから。」と言う。

 私は、今まで我慢していた糸がプッツリ切れたのと、自分の思っていることをきちんと伝えられないことが悔しくて、わんわん泣いた。私が思う存分泣いている間、ラルフはただ私を慰めるように胸を貸してくれた。

 私の思いは伝わっていないだろう。けれど、ラルフがどうしても部屋に戻って寝てほしい、と言うので、部屋へ戻って寝た。