8月3日の午後、ホネティック(発音)の授業を受けているときに、突然フラウ・ヴェヴァーが私ときよちゃんを呼びに来ました。何かと思い、すぐに行ってみると、「おめでとう!あなたたち、やっと結婚式ができるわよ!」と言われたのです。もう、ドイツで結婚式はできないだろうと思ってすっかりそんなことは忘れていました。「今すぐ、ここへ行って、この書類をもらって、シュタンデスアムト(戸籍係)へ来なさいってよ。」と言って、もらいに行く場所の簡単な地図と書類の名前を記した紙を渡してくれました。どうやら、住民登録をして住民票をもらう必要があるらしいのです。すぐに行って、並んで(と言っても、ドイツでは並ぶということはしない。みんな、自分が誰のあとか覚えて適当に待っている)、やっと書類をもらいました。
シュタンデスアムトへ行くと、ノイマンさんが「ドイツ大使館から書類が届いたから、これでいつでも結婚できるよ。」と言われ、する日にちを決めることになりました。結婚式は毎週木曜日と金曜日の午前中だけ行われることになっています。一番早くあいてる日が17日(木)の午前9時からの回だというので、その日にすることにしました。別室で結婚のための費用(外国人用の結婚証明書等の費用)116マルクを払いました。結婚が決まると、式の1週間前から、シュタンデスアムトの掲示板に「○○と○○が○日に結婚します。異議のある人は申し出てください」という紙が貼られます。
いよいよ17日。バスで行こうかとも考えましたが、フラウ・ハイン(学長)が8時15分に車で迎えに来てくれることになっていたので、私は5時半に起きて、準備を始めました。ウエディングドレスを着るのは一人ではできないので、きよちゃんに手伝ってもらい、お化粧をして、髪をバレッタでとめました。
8時15分に、フラウ・ハインが迎えに上がってきました。車には、ワイパーのところに花が飾ってあって、手が込んでいます。8時半にはシュタンデスアムトの前のマルクトプラッツに着きました。マルクトプラッツの前で写真を撮りました。少しすると、寮で一緒のマッシモとフェデリカが式に参加するために学校へは行かずに来てくれました。9時前になると、私のクラスの人たちが先生(マリアネッラ)と一緒に全員、やはり式に参加するために来てくれました。式の最中の写真はマッシモにたのみました。
9時、「中に入ってください。」とノイマンさんに促され式をする部屋に入ります。奥に参列者が座り、私ときよちゃんの両脇には、証人になってもらうフラウ・ハインとトーマス(きよちゃんの昔の担任で、今は私も教わっている)が座り、その隣には私のために通訳してくれる、さやこ(きよちゃんが日本語を教えてる女の子)のお母さん(日本人)が座りました。いろいろ結婚に当たってのお話をしてくれます。日本人だからということで、日本では有名なゲーテの言葉を、と言ってゲーテの言葉を引用してくれたりします。誓いの言葉になり、「私が聞いたら、"Ja"(はい)と答えてください。」とノイマンさんに誓いを強要(?)され、「Ja」と答えます。最後に、まずきよちゃんが書類にサインをして、次に私がまた別の書類にサインをしました。日本の婚姻届とは全然違います。その後に保証人のフラウ・ハインとトーマスがサインをしました。20分くらいで終わるはずの式が、親日家のノイマンさんがいろいろと考慮してくれたために30分過ぎてしまいました。
式が終わり、外に出ると、Lessing-Kollegの先生も生徒もみんな授業を途中で切り上げてかけつけてくれていて、ライスシャワーと紙吹雪を浴びる(「ぶっかけられた」という方が正しい・・・)ことになったのでした。「Oberhessische Presse」というヘッセン州の新聞が取材に来ていて、次の日の1面(マールブルク欄)を私達の結婚式の記事と写真が飾ったのです。
その後、みんなで写真を撮ったりしました。それから、エリザベート教会へ行って写真を撮ろう、ということになって、シュタンデスアムトからエリザベート教会まで10分ちょっとの道を歩くことになりました。それが左の写真です。街ゆく人々が振り返り、大きな道路に出ると、車で行きすぎる人たちも声を掛けてくれます。ウエディングドレスのまま、街の中を歩く事なんてめったにできない体験です。エリザベート教会の前で2枚写真を撮った時点で、フィルムが終わってしまいました。フィルムを1本しか持っていかなかったのが失敗でした。その後、また学校まで10分の道のりを歩き、学校にはパーティーの用意がされていて、パーティーをしてもらいました。7月7日の結婚パーティーの時とは違い、あの時大騒ぎしてくれた子供たちの団体もいなかったし、このコースが始まってすでに2週間たっていたのでまわりとも仲良くなっていたし、とても楽しいパーティーになりました。