フィレンツェでのホテル探し

ヴェッキオ宮殿
フィレンツェの地図(155kb)
Samstag , 24.Juni. 1995
昼前にドゥオーモとヴェッキオ宮殿まで散歩しに行きました。旅行を初めて3週間ちょっとたちますが、フィレンツェの観光客の多さにはびっくりしました。レマン湖とミラノ、ヴェローナで日本のツアー客を何組か見かけたくらいで、こんなに大量の日本人を見るのは久しぶりでした。
まずは、ホテルを探さなければなりません。エンリコから電話がかかってくるのは早くても3時半過ぎなので、時間はたっぷりあります。カフェでお茶を飲みながら「地球の歩き方イタリア編」をめくってみました。どうやら、このシニョーリア広場近辺・ドゥオーモ近辺はホテルの相場が150,000リラ以上のようなので、この広場近辺には泊まれません。メイン通り沿いのホテルで、読者割引で112,000リラというお得なホテルを見つけました。トラットリアで昼食をとってからそのホテルへ行って、部屋が空いてるか、値段はいくらか、ときよちゃんが聞きました。「ここに書いてある値段は昔のもので、今は値上がりした。今は130,000リラするよ。」と言ってる、ときよちゃんが言います。読者割引してもその値段だ、というのです。他を探すのも面倒だし、予算オーバーだけど、とりあえず今日はここに泊まろう、とそのホテルに決めました。
昨日泊まったホテルに戻り、預かってもらっていた荷物を受け取って、次のホテル、"Hotel Delle Tele" に移動しました。エンリコに電話して、ホテルの電話番号を伝え、来る前に電話を入れてもらうことになりました。来るのは5時半過ぎるらしく、まだ時間があったので、明日からのホテルを探すことにしました。方面を少し変えて、メディチ家礼拝堂の方へ行ってみました。何軒かのホテルを当たりましたが、すごく不親切だったり、110,000リラ以上だったり、なかなかいいホテルがなかったのですが、「うちはいっぱいだけど、隣ならここと同じクラスで部屋もあいてるはずよ。」と言ってくれたところがあって、その隣のホテルに入って聞いてみました。部屋は空いてる、とのこと。ただ、値段が最低で110,000リラだと言うのです。そこで、「僕たちはお金がないから、どうしても90,000リラ以上は払えないんだ、どうにかならないだろうか?」と、きよちゃんが交渉を始めました。すると、ホテルのオーナーさんも考えてくれて、「よし、じゃぁ90,000リラにしてあげよう!」とOKしてくれたのです。二つ部屋を見せてくれて、このどちらかの部屋になるけどいいか、とも、わざわざ聞いてくれました。3泊予約して、上機嫌でホテルを出た私達は、イタリアに入って初めてジェラート屋さんでジェラートを買って食べました。
ホテルに戻り休んでいると、外からパレードのような音が遠くに聞こえます。窓を開けて通りを見ると、中世時代のような衣装を着た人たちがパレードをしています。「地球の歩き方」を見てみると、6月、しかも今日、フィレンツェでは古式サッカー試合というのがあって、中世の装束衣装を着た人たちがサッカー試合をする日で、その前にパレードをする、と書いてありました。どうやらそのパレードのようです。何も知らずに、たまたまこの日にこのホテルをとったのは運がよかったようです。
6時頃、ホテルにエンリコから電話が来ました。7時前にはホテルの前に行く、とのことでした。6時45分頃に私達は外に出てエンリコを待ちました。7時前にエンリコが到着しました。彼の車に乗り込み、友達に誘われてるから友達の家に一緒に行こう、と言われ、友達の家に向かいました。8時前に友達の家につきました。エンリコは友達と挨拶をして、私達のところに戻ってきて、「まだ準備中だから待ってて、って。」と言い、外で話をしていました。
8時半過ぎて(でも、外はまだ真っ暗ではなかった!)ようやく友達が呼びに来て、中に案内されました。エンリコの他にも2人友達が来ていて、友達の家族もみんないました。9時になってようやく食事が始まりました。10時過ぎに花火が上がり始めました。友達の家は高台(山の上?)にあったので、遠くでしたがとてもよく花火が見えました。みんなで窓際へ行って花火を見物しました。それからは飲んだり食べたりしながら楽しそうにおしゃべりしています。私はイタリア語の会話はまったく理解できませんでした。エンリコが時々きよちゃんにドイツ語で説明してくれるので、それを私に日本語で説明してくれます。11半を過ぎても、終わる様子がありません。でも、私達はホテルに帰らなければならないので、エンリコには悪いと思いましたが、エンリコに送ってもらうしか帰る方法はありません。エンリコもそれは分かっていたので、「じゃぁ、帰ろうか」と言って私達をホテルまで送ってくれました。明日はエンリコの家へ遊びに行くことになりました。でも、それもなぜか夜で、7時頃行くことになっていました。